「全国連携」について

加藤清正公のご縁は全国に、そして現在までつながります。

連携団体ご紹介

「加藤清正公を大河ドラマに」
連携団体のご紹介

■熊本県熊本市 【清正公が富国安民の国づくりを行った地】

清正公が27歳で大名となり肥後隈本城に入城。熊本城完成時の慶長12年(1607)に「熊本」と改名。
清正公は、水源保養林・防風などの植栽、干拓地造成開墾街 道・堤防の整備、河川改修など、
土木・治水に力を注ぐ。焼物 や小麦栽培などの 産業 振 興、 南方諸国との交易学問の奨励、
文化開拓等も行 い、熊本発展の礎を築く。

◆「加藤清正の大河ドラマを実現する熊本県民の会」「加藤清正公・忠広公顕彰会」

清正公生誕450年・没後400年を機に、清正公の偉業を顕彰し遺徳を広く伝えようと地元有志が
記念事業実行委員会を立ち上げ、清正公ゆかりの地および、韓国の関連都市とも連携した
多彩な事業を展開し、NHK大河ドラマ実現に向けて署名活動を行う。

■山形県鶴岡市 【清正公の嫡男/忠広公 終焉の地】

清正公の死後、三男/忠広公(1601~1653)が11歳の若さで肥後熊本藩54万石を継ぐも、31歳で幕府から改易を命ぜられた。
出羽庄内藩/酒井忠勝に1代限り1万石の沙汰で預けられた忠広公は、母、家臣20名などと共に
丸岡城(鶴岡市櫛引)で22年暮らし、54歳で没した。父/清正公の遺骨と甲冑を密かにこの地に移したと伝えられ、
文学や音曲に親しみ、地元民とも親しく交流しつつ暮らした様子が和歌に残されている。

◆「清正公・忠広公遺跡顕彰会」

清正公の墓所を密かに護り伝えてきた丸岡地区の人々・忠広公の姫や家臣団の末裔などを中心に
1912年(明治45年)発足。毎年7月に清正公大祭を開催。2008年の熊本城築城400年祭には、
熊本城本丸御殿へ忠広公座像の一時お里帰りを行うなど、熊本との交流を深めている。

■岐阜県高山市【清正公の孫/光正公終焉の地】

肥後熊本藩改易後、忠広公の嫡男/光正公(1614~1633)は、飛騨高山藩/金森重頼に預けられた。1年後に19歳の若さで逝去。
配流地で寂しく没した光正公を哀れんだ金森重頼によって、城内にあった建物が法華宗/法華寺の本堂として寄進され、
裏山に立派な墓が建立された。光正公の妹/太計姫・重姫の家系を継ぐ人々が現在も市内に在住。

◆「加藤光正公顕彰会」

2003年 熊本県知事が高山法華寺を訪れ、光正公のお墓に参拝されたのをきっかけに、
熊本県との交流が一層深まり、顕彰会が発足した。
文責:やまかわさとみ 参考:加藤清正公記念事業実行委員会HP 山形県鶴岡市観光連盟HP他